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2021年6月5日土曜日

植物を飾るのを嫌う相方の話

私は家の中に植物があるのは結構好きだ。部屋が華やぐし、気持ちも明るくなる。花屋をみかけるとついつい店をのぞいてしまう。

私の相方は植物を部屋に飾るのはいやだと言う。特に切り花が嫌いだと言う。

外に咲いている花や植物を見るのは好きなのだけど、部屋に切り花を飾るのがいやなのだと。正確には ”少しづつ魅力を失って、枯れて、最後ゴミ箱に捨てられてしまう” のを見るのがいやなのだと。花がかわいそうなのだそうだ。

なるほどと思って聞いていたが、ふとそれって人も同じじゃない?と思った。

悲しいかな、人もだいたい二十歳-三十歳をピークに、少しづつ枯れていく。枯れていくにしたがい若さという魅力を失い、やがて死に至る。

でも人の魅力は若さだけだろうか? 年を重ねれば出てくる魅力というものがある。

例えば相方。二十代の頃の相方はそれはそれは美しい長距離競走馬のような筋肉をしていた。躍動する若さとしなやかな身体つきにドキドキしたものである。

今はすっかり白髪まじりで、顔にしわも増えたがそこそこ鍛えているせいかおなかも出ず体系を保っている。何より健康で元気で、今でもとても魅力的だ。

枯れてきた花はどうだろうか? 確かに美しいとは言い難い。ほんの少し傷んできただけでピーク時の魅力を失う。この時点で捨ててしまう人もいるだろう。

そう考えると確かに切り花は相方には似合わないのかもしれない。

相方曰く、動物を飼うのも嫌だと言う。死んでしまうのを見るのがつらいと言う。

その昔、猫を飼っていた。拾った時、目にあいておらず、小さいからだでめいっぱいピーピーと泣いていた。拾った子供たちがどうするか会議をしたあげく、泊めてあったバイクの椅子の上に置いていってしまったのだ。

私と相方は「このままだと確実に明日には死んじゃうね。」ということで、家につれて帰った。それから17年、茶トラの女の子は元気に生きて、最後は私の手の中で息を引き取った。前を足をつっぱって、息を2回ほど大きく吸い込みぐったりとなった。

「死んじゃったかも。」と言うと、相方はそっとお腹に耳をあて、「(鼓動が)だんだん弱っていく。」

それ以来動物は飼っていない。

ペットは飼った以上、死ぬまで面倒をみなければならない。自分が先に死ぬことでペットの死を見るのを逃れるというのは相方の中では絶対にいけないことなのかもしれない。

数年前、相方はお母様と妹さんを立て続けに亡くした。

その影響もあってか、「次に看取るのは親父とお前で十分。」と言う。

ありがたいことに、相方は私を看取ってくれる気がまんまんのようだ。

話はだいぶ飛躍したが、結局豆苗を飾るというところに落ち着いた。

豆苗の場合、食べるということで一生をまっとうするので、それはそれでいいらしい。

しかも水と昼間光にあててやるだけで、もそもそと育ってくれ、2-3回ぐらいなら収穫可能なのだ。



 

 土曜の昼に半分食べられた豆苗(アスパラの下じきになってる)

久ぶりにエッグマフィンを作ってみた。



 

豆苗がいいなら、きっとハーブもいいに違いない。 きっと食虫植物だったらそれはそれでいいに違いない。とたくらむ私なのであった。


本日の夕飯
きのこそば
ハム きゅうり ちくわの酢の物
春菊の胡麻和え


焼肉!!

 焼肉というのは何故いつもそう聞いただけで心が弾むのであろう? 人間は本来は肉食動物なのであろうか?と思うぐらい、今夜は焼肉だと思うと昼過ぎからソワソワワクワクしている自分がいる。 本日、お肉をハントしてきたのは我がパートナー殿である。 黒毛和牛のカルビ&オーストラリア牛の牛タン...