先日、会社の同僚とチャットをしていて、障碍と送ったら 「六月さんは障碍派? 僕は障害派。だって害だもの」とかえってきて面食らった。「しょうがい」という文字に”派”があることもさながら、そんな事を考えたこともなかったからだ。
そういえばなぜ、いつから? 私は障碍と文字使いはじめたのだろう?
害という文字を嫌う人が多いから?
みんながその文字を使うようになったから?
考えてみたら、障碍の碍という文字にどんな意味があるのかさえも分かっておらずに使っていたことに気付いてはっとさせられた。
ちなみに私も同僚も類は違えど「障がい者」だ。だから尚更、「害だもの」という言葉は胸にストンと落ちてくるものがあった。同僚がどういうつもりで言ったのかは聞いていないので分からない。
ただ、確かに、私の障がいは他の人がどう言おうが、どう書こうが”以前はできていたことが、できなくなる”ことは、私にとっては「害」以外の何物でもない。それを個性ととらえるまでにはあまりに長い時間が必要ではないのか?
落ち着いて知らないことから始めよう。
”がい”という字をネットで調べてみる。
害 悪い結果や影響を及ぼす物事。
碍 ①さまたげる。じゃまをする ②ささえる。ささえ。
礙 進行を邪魔して止める。さまたげる。
引用 Goo辞書
https://dictionary.goo.ne.jp/word/kanji/%E7%A2%8D/#jn-35264
https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E5%AE%B3/
https://dictionary.goo.ne.jp/word/kanji/%E7%A4%99/#jn-35270
害は悪い意味が全面に出てきているのに対し、碍という文字には確かに表現を緩和させるものがある。
国の表記は?
内閣府の障害者基本法では下記となっており、はっきりと害と明記されている。
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(定義)
第二条
この法律において、次の各号に掲げる用語の意義は、それぞれ当該各号に定めるところによる。
- 一
- 障害者 身体障害、知的障害、精神障害(発達障害を含む。)その他の心身の機能の障害(以下「障害」と総称する。)がある者であつて、障害及び社会的障壁により継続的に日常生活又は社会生活に相当な制限を受ける状態にあるものをいう。
- 二
- 社会的障壁 障害がある者にとつて日常生活又は社会生活を営む上で障壁となるような社会における事物、制度、慣行、観念その他一切のものをいう。
引用:障害者基本法(昭和四十五年五月二十一日法律第八十四号)
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同じ内閣府のサイトの中に下記のサイトを見つけた。
では、障碍という文字はどこで使われているのだろうか?
NHKの「第1441回放送用語委員会(東京)2019年11月22」版では実際にアンケート結果から下記のように結論づけており、障碍という字は案外世間ではあまり使用されていないようだ。
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「見たことがあり,抵抗感はない」が最も多いの は「障害」(80%)で,次いで「障がい」(63%), 「障碍」(9%)であった。
引用:第1441回放送用語委員会(東京)2019年11月22
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いろいろとググっているうちに、障礙(しょうげ)という言葉があることも知った。とうやら障碍は障礙の略文字であるらしい。
Wikipediaによると
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障礙(しょうげ、略字で障碍)は、仏教用語として煩悩障など心を覆い隠し悟りを妨げている要素を指して用いられたことから、邪魔するなどといった意味で使われ、明治時代にはしょうがいと読まれるようになった。その後、日本では妨げというような意味では、それらの表記は区別されず用いられた。
1940年代の当用漢字表や、障害の表記が採用されると、障碍の語はあまり用いられなくなった。身体機能の障害に対して、法令などで障害の語が当てられるようになった。近年、障害者の表記を巡って議論がある。
引用:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9A%9C%E5%AE%B3
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上記のことを踏まえると、やはり障碍という文字は世間では用いられなくなっているようだ。
では、私はなんでこの文字を使っている?と思い起こしてみると、ふと思い当たる事があった。
もう8年以上も前になるが、私はその頃「中途障がい者」になりたてで、前の職場復帰が難しくなり、転職先を探している間、あるNPOの就職支援教室に通っていたことがある。そこでは私のように「中途」の方も「先天性」の方も受講していた。
その時にある方から「障害者って書かれるの嫌い。世の中の「害」って言われてるみたいで」という話を聞いたことがある。
その時、私は「え。。私って害なの?」と思ったのを覚えている。
何故かその頃、信頼している主治医のお医者様から「障害者手帳申請しようか?」(つまりは、もうこれ以上は良くならないという意味だ)と言われたのにも関わらず、また飛んだり跳ねたり、馬に乗ったり、振り落とされたりといった、前と同じように生活できると信じていた節があった。
私自身、どこか「自分は障がい者」という事を受け入れられ難かったのかもしれない。
話は最初に戻るが、「だって害だもの」と聞いた時に、ああ、この文字は世間から見たどこうこうではなく、自分から見たら障がいは「害」自分自身に悪い結果や影響を及ぼす物なのだと受け止めていいのだと感じた。
無理に個性だと受け止めなくても、「害」だって思ってしまうとなんだか気持ちが楽になって腹落ちした気分になった。
(これは私自身のことであり、自分の障がいを「個性」として明るく前向きに生きている方もたくさんいることを知っている。けしてその方達を否定するものではない)。
ちなみに、英語で障害者は
Handicapped Person
Disabled Person
Impaired Person
Challenged Person
等があるが、私は”Challenged Person”という表現が少し苦手だ。Challengeは挑戦するとか戦いを挑む、困難に立ち向かう等の意味があり、障害があっても立ち向かって行けと言われているような気がするからだ。(あくまで個人の意見です)。
だから私は「がい」を「害」と受け止めて、休み休み歩いていこう。
同僚は良いことを気付かせてくれた。ありがたいと思う。
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