先日、ある方から「障がいは個性だ」だから、個性を尊重したいと言われた。
悪い言葉ではないと思う。最近よく耳にする言葉だ。
ただ、諸刃の刃である。安易に口述していいこととは違う気がする。
誰が使うかにもよるし、その話が出たバックグラウンドによっても、意味は微妙に違ってくる。
例えば、パラリンピックの選手が金メダルをとったインタビューで、「私の障がいは個性です。障がいを克服することによって、それを個性に変え、このおかげで、今の自分があります。」と答えれば、感動を生むだろうし、涙する方々もいるかもしれない。
例えば、障がい児を育てる両親が「この子は個性的なんです。集中するといつまでもそれに没頭していられるし、計算が得意なんです。」「うちの子は、明るくて人懐こいし、いつも元気でみんなを笑わせてくれます。」
マイナスの面よりプラスの面に焦点を当てて、その子を伸ばしてゆこうとする親心だ。
簡単に口にすることに、怒りさえ覚える。
何も知らない健常者が障がい者に「私は君の障がいは個性だと思っているので。」等と言うと、一見 DE&I の精神に則っているようだが、それは全然違いますよ言いたい。
それは「ガン」になった人に「ガンは個性だから」って言っているのと同じ。
私の障がいは障害であって、個性である等と思ったことはない。
私の自由を剥奪する、ゆっくりとだが進行性の病であり、”害”なのだ。
時々ひどく力の抜ける右脚も、年中(特に雨の日には)チクチクと痛む全身の痺れも、それもひっくるめて個性だとは到底思えない。
障がいを個性と言えるのは、克服しようと頑張っている本人と、一生をかけてサポートをしていく周りの方々だけ… (他のパターンもあるので言い切れはしないが)少なくとも安易に述べてほしくはない。
と怒りを感じた一幕があったので、記載しておく。
本日の夕飯 ブロッコリー トマト ピーマン&牛肉のオイスターいため
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