7/7-10日にかけて、和歌山に行ってきた。このコロナ禍に何故そんな遠出を思われるかもしれない。
ただこの一年、ただひたすら家に籠る日が続き、鬱々としており精神がギャアと悲鳴をあげたからだ。
なるべく人と密にならないように平日に休みをとり、移動は車、部屋も少し贅沢だが温泉付きの部屋とした。これは足が思うように動かせない私にとっては、大変ありがたい。
大浴場だと、衣服の着脱から始まり、4本脚の杖での段差の移動。お湯につかる時も手すりが必要等、結構難関が多いのだ。
脚の神経痛や痺れを癒すのに、痛む時、気の向いた時、温めたい時に気軽に温泉に浸かれるのは本当に嬉しいことなのだ。
ああ、そんな部屋に3泊もできる。湯治だ。その代わり、夕飯も朝食もついていない素泊まりであるが、そこは節約である。何しろ和歌山マリオ手当てットホテルは、食事代がかなりお高いのだ…。会社の保養所手当てがなければとても泊まれるお宿ではない。
さて、弁慶である。実在したかどうかは定かではないが、京都大橋で義経(当時牛若丸)と戦い、破れてからは義経に使え、平家と戦いでの活躍、仁王立ちでの最後等。怪力と豪傑の武勇伝は本当に?と思わないでもないが、その精神力は何事にもすぐ音を上げる私としては見習いところだ。
そこで、弁慶は「義経記」によると田辺で出生したという説があるので、和歌山に行ったついでに田辺へよってみた。
出生から順番に紹介
弁慶産湯の井戸&弁慶松
なんと田辺市役所の駐車場の中にあります。
どこにあるか分からず、探すのに苦労しました。
弁慶産湯の井戸
調べてみると、これは平成元年に復元されたものである熊野別当屋敷跡ことが分かりました。
元々は熊野別当屋敷内にあったものらしいです。
また、人々が昔松は弁慶の死を悼んで、この産湯の井戸の近くに松を植えたので「弁慶松」と呼ばれるようになったようです。
弁慶松
現在は6代目の松だそうです。
弁慶が幼少期に座った椅子。
この石のくぼみから、幼少期から身体が大きかったことが分かります。
ちなみに腰掛け禁止という張り紙等はなかったので、おそるおそる座ってみました。
強くなれそうな気がしたので。
丁度よく座れそうだけど、お尻がすっぽり嵌ってしまい抜けなると大変なので、軽く腰をかける程度にしておきました。もし抜けなくなって、助けをよんだら絶対誰かのSNSにアップされそうです。このアホ…みたいな感じで(笑)
矢代神社は疫病を払うために建設された京都の「八坂神社」が元で、疫病消除のために全国へ勧請されました。
7月7日は”胡瓜封じ”
私は読めなかったのですが、きゅうりふうじと読むようです。
きゅうりに疫病や災害を封じ込め、神様にお供えすることでお祓いをし、開運をお祈りする日のようです。
この日は7/7だったので、たくさんのきゅうりやお酒等がお供えされていました。
私もコロナの消除を願ってお祈りをしてみました。
闘鶏神社
源氏と平家どちらに味方するかを決める時、田辺の宮に熊野権現を祭り、熊野別湛増(たんぞう)が、紅白の鶏を戦わせ、7回とも白鶏が勝ったので、源氏に味方したらしいです。
この神社の闘鶏神社という名もそれが由来です。
そこで、うん?ってなりました。
あれ?京の五条橋での義経との出会いは、やはりおとぎ話だったんですね。
こちらの鶏の像は、よく出来ていて、動物の像等が大好きな私としては、なかなか想像力を掻き立てられるものがありました。
どちらが強いかは一目瞭然ですな。
同神社内に日本を産んだ神様
イザナミノミコトが祭られていたのでお参りをしました。
無病息災延命長寿から良縁、夫婦和合、子宝、導き、富貴、勝運、出世、心願成就等
なんでも叶えてくれるんですね。
さすが、日本の産みの母。万物を生み出すエネルギーはすごいものがあります。
多少、節操がない気がしないでもないですが…
まあ、なんでも叶ええてくれるというのは欲張りな私にとってはいい神様なので、
とりあえず、
無病息災と夫婦和合、勝運をお祈りしてみました。
奉納されているのは鏡。
神頼みをする前に己の姿をよく見よということか…
最後は、壇之浦で平家と戦った、熊野水軍出陣の地
弁慶産湯の井戸のすぐ近くの海岸にあります。
ちなみに弁慶が壇之浦の戦いの時、何をしていたかという記述はありません。
やはり後世に書かれた逸話なのでしょうか。
日本のウユニ塩湖と言われている天神崎にもよってみました。
はやり綺麗な景色を見るには時間帯と天気が大切なようです。という感想でした。
ねこ岩 だそうです。
確かに言われてみれば、猫が前足のばして座っている姿に見えなくもない。
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