キャベツの千切りはいい。イラつく心を静め、頭の中を空白にして整理してくれる。
千切りしながら数をかぞえる。それだけで雑念を身体から追い出すことが可能だ。
なので、イライラしたり怒りでどうしょうもないときはお勧めする。
さて、本題に戻そう。
まず、イライラの発端である。私の知人に精神障害を患う方がいる。個人情報になるので詳しいことは書かないが、本人は曰く躁うつ病で、うつ期になると世界中の人が自分のことを否定してダメなやつだ思っていると、思い込むとのことだ。
私は知人の躁期をよく知らない。連絡があまりない。私を必要としていないであろう。
ただ、なんだか突然資格をとる勉強を始めたとか、ギターを習いだした等、風の噂で知ることもある。これが恐らく躁期なのだろう。だいたい途中でおっぽり出すところを見ると…
で、鬱期である。
「もう疲れた。消えてしまいたい。」と言う。そんなことを言われても私には返す言葉は持ち合わせてないのでしばらく黙って話を聞く。長いと2時間でも3時間でも同じ話を繰り替えす。だいたい聞いていられるのは最初の2-30分だ。
聞いていられなくなると、私は言う。「このまま話をしていていいから、私は違うことをしてもいいかな?」と携帯の音声をオンにしたまま、ヨガをやったり瞑想をしたりしてみる。
「命の電話」に電話をするように勧めたこともある。私は専門家でも医者でもないからだ。
だけど、つながらないらしい。それにつながってもろくな事は言われないと言う。嘘だ。
少なくとも私よりはいろいろな訓練を受けた方が対応してくれるので、アドバイス等も適格なはずだ。
多分、知人にとってはアドバイスは余計なことなのだ。
ただ話を聞いてほしいだけなのだ。「それってうざいよ。」私ははっきりと伝える。「そうだよね。私 うざいよね? きらいになった?」と聞く。
「いや、きらいにはなってない。」これは本当の気持ちだ。私はなぜか知人をきらいになれない。自分の好きなように生きて勝手に躁になり勝手に鬱になる。そして話を聞いてくれる人が何名かいるらしい。
うらやましいと思う。私がそうなったら私は誰に話を聞いてもらえるのだろう?
頼る先は命の電話か、心療内科か…
それに、きらいなったら、知人は本当に ”消えてしまう” だろう。
私の前からか…現からか…それともこの世からか…それは分からないが。
それは困る。
知人からの鬱の知らせは、私をメランコリックさせる。鬱は伝染するのだろうか?
気が立つ。勝手に知らせてきて、勝手に連絡を絶ってしまう。
私だって身体が痛いときには、洋服を脱ぐようにこの身体を脱げたらと思うことがある。
でも ”消えてしまいたい” ということはない。ないと思う…
私の中に ”黒い” 部分があるのは事実だ。そしてそれを掘り起こす。どろどろした胸間にぶくぶくとおぼれていく。ああ 私はまた夢を見ているのだと思う。
漆黒の沼にはまり、もがけばもがくほど靭カズラに落ちた虫のようにずるずると中心へ落ちていく。溶けていく。すべて溶け切ったところで目が覚めてくれればいいのだが… 覚醒できなかければどうなってしまうのか…そのまま私も沼の一部なってしまうのだろうか。
ふと、怖くなった。そんな知人は本当にいるのだろうか?
いや、いる。それが現実だ。そしてそんな気にさせるのは私の脳と心の問題なのだ。
だいたい知人には、”助かりたいという気持ち” と ”努力” がない。それでは、いかにこちらが助けようとしても助からない。本人を助けられるのは本人だけで、周りは受け止めるか受け流すか、アドバイスをするかしできないのだ。
で、最初のキャベツの千切りの話に戻る。我を忘れて千切りをして、美味しく食べる。
ビタミンも食物繊維もとれるし鬱もきっと治るだろう。
うん??
本日の夕食: さばの塩焼き
にんじんシリシリ コールスロー 玉子スープ
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